三重県農業研究所 農産研究課
研 究 員 内 山 裕 介 (現 四日市農林事務所 四日市鈴鹿地域農業改良普及センター 鈴鹿普及課 主任)
三重県の小麦は,作付面積が6,590ha(2018年産:農林水産省作物統計)であり,硬質と軟質小麦を合わせて4品種が栽培されている。県産小麦はご当地グルメ「伊勢うどん」の原料として使われるなど,実需者からの生産要望が強く,需要が供給を上回る状況が続いており,硬質小麦を含めた増産が求められている。
しかし,昔から「麦は肥料で獲る」と言われるように,麦栽培には施肥管理が肝心で,特に硬質小麦を高品質安定生産するには基肥施用に加え,3回の窒素追肥が必要となるため大きな労力を要する。また,生産現場では経営規模拡大により春先の水稲作との作業競合が生じ,生育後期の適期追肥を行えずに品質・収量が低下する場面が見受けられる。これらの対策として肥効調節型肥料による省力的施肥技術が望まれているが,今まで硬質小麦に特化した肥効調節型肥料はなかった。そこで,省力的に硬質小麦を高品質安定生産することを目的に,硬質小麦用肥効調節型肥料の開発を検討したので紹介する。
研究所内(松阪市)および現地圃場(玉城町)において,表1に示した省力施肥体系と慣行分施体系(追肥3回)を3年にわたり(2014年,2015年,2016年播種)比較検討した。省力施肥体系は,速効性肥料:リニア20日タイプ肥効調節型肥料(以下,L20型):シグモイド30日タイプ肥効調節型肥料(以下,S30型)をそれぞれ20:40:40%の割合で配合した「小麦専科32」を試験資材とし,その参考として,県内で普及している既存の肥効調節型肥料である速効性肥料:リニア30日タイプ肥効調節型肥料(以下,L30型):S30型をそれぞれ35:40:25%の割合で配合した「麦エムコート28」(ともにジェイカ
ムアグリ株式会社)を基肥時に窒素量1.6kg/aで全量施用した。
試験には県内の小麦栽培面積の約20%を占める硬質小麦「ニシノカオリ」を供試し,播種適期とされる11月上中旬(2014年11月7日,2015年12月2日(播種後の降雨により播き直しを行った) ,2016年11月18日)に播種した。
省力施肥体系で用いたL20型とS30型について,土中への埋め込みによる溶出試験を実施した
(図1) 。
その結果,肥料窒素の溶出がL20型は播種後から幼穂形成期頃までに約70%の溶出を示した。一方,S30型は幼穂形成期頃から溶出が始まり,止葉抽出始期頃までに約20%,開花期頃までに約60%の溶出を示し,その後も溶出が持続した。
施肥方法と生育の関係を表2に示した。播種後から止葉抽出始期にわたり,省力施肥体系(「小麦専科32」および「麦エムコート28」)は分施体系と同程度の生育で推移した。また,このことから,前述の埋め込み試験の結果と同様に肥効調節型肥料からの窒素溶出が持続していることが確認できた。
収量,収量構成要素およびタンパク質含有量の関係を表3に示した。硬質小麦の品質を評価する1つの基準であるタンパク質含有量をみると,「小麦専科32」は同じ省力施肥体系である「麦エムコート28」に比べて多くなり,硬質小麦の品質が向上した。
これは,開花期以降も窒素が継続して溶出するS30型が「小麦専科32」は「麦エムコート28」と比べて多く含まれることが寄与していると考えられた。
省力施肥体系は慣行施肥体系と比べて同等の収量(上麦重)となった。また,省力施肥体系は,2015年播種の「麦エムコート28」を除いて,硬質小麦のタンパク質含有量の基準値(11.5〜14.0%)を満たしたが,2015年および2016年播種のような出穂期の葉色が低い場合は,慣行分施体系と比べてタンパク質含有量がやや少なくなった(表3) 。
これは,省力施肥体系は気温や降雨(図2)の影響を受け,開花期から成熟期における窒素溶出量が不足する場合があるためと考えられた。
近年,省力施肥技術の普及によって「追肥の適期を逃してしまった」といった農家の声は少なくなった。農家にとって,省力施肥技術は小麦の安定生産を保証してくれる「お守り」になりつつあり,また,この「お守り」から得られる時間的・精神的余裕によって,もうワンランク上の品質・収量を目指した取り組みを行う農家が増えている。
この甲斐もあり,2018年播種の県産小麦はここ数年で最も高い単収を得ることができ,現場では麦づくりに対する意欲が一層高まっている。例えば,排水対策や土づくり資材の投入,赤かび病の複数回防除など「今までやりたかったが,できていなかったこと」に取り組む農家が増えている。
このように,施肥の省力化は,小麦生産だけでなく現場のモチベーションを引き出す役割も担っており,今後も発展していくことが期待される。
ジェイカムアグリ株式会社 東北支店
技 術 顧 問 上 野 正 夫
プール育苗とは,育苗床周辺を木枠等で囲い,ビニールを敷き詰めることで湛水状態を可能にできる育苗方法です。この育苗方法は宮城県が発祥とされ,育苗後半に湛水することで,特にゴールデンウィーク以降,頻繁に灌水が必要な時期に,気を使う必要がない省力的な水管理方法として脚光を浴びてきました。著者は,苗箱まかせを用いた育苗を数多く経験しましたが,苗箱まかせによる育苗はプール育苗が最適と考えています。特に,苗箱まかせによる育苗は,通常より床土が少なくなる分,水分が不足気味になる恐れがあります。出芽揃い後,すぐに「水苗代状態」に維持することが健苗育成のカギと考えており,プール育苗を進める所以です。
ここでは,その具体的方法について述べることにします。また,ゴールデンウィーク期間中に「ムレ苗予防対策」として,タチガレンエースM液剤の散布が必須的と考えており,その重要性についても指摘したいと思います。
塩水選は,充実した種子を選択し発芽を均一にするために行われます。なお,塩水選により保菌もみを除去することができ,種子消毒を併用することにより防除効果を高めることができます。塩水選の比重はうるちで1.13,モチは1.08で行います。浸漬は発芽に必要な水分を供給することが目的で,積算水温で100℃,籾重で20〜25%増加するまで行います。水温が15℃だと7日程度の浸漬日数が必要となります。
浸漬時間が足りないと発芽が不揃いになるので十分時間をかけて給水させることが重要です。特に浸漬はたっぷりゆとりをもたせた網袋に入れ,2〜3日ごとにゆすって水の吸収ムラを防ぐようにしましょう。水温は15℃以下で2〜3日毎に水を交換してほしいものです。その後,十分浸漬した籾をハトムネ催芽器にかけて「鳩胸状態」を保持します。そして浸漬状態に戻しますが,播種作業との関連が重要で,決して根が出るような状態にしないよう注意してください。播種作業の1〜2日前には陰干し状態にし,播種作業に備えましょう。
育苗床土は,団粒が崩れにくく保水性と排水性に優れていることが重要で,pHは5〜5.5,速効性肥料として箱当たりN,P,Kそれぞれ2g程度必要で,育苗期の苗立ち枯れ病防除は防除基準に則って行います。苗箱まかせによる育苗も速効性肥料は必要で,箱当たりN,P,Kとも1g程度が適量であるので,従来使われていた育苗床土(苗箱まかせによる育苗床土は少なくて済むため)を使用して問題がありません。なお,育苗覆土は粒状の無肥料培土を使います。特に覆土が粉状化したものは泥状化し発芽に障害を及ぼすので粒状培土の使用を心掛けてください。
健苗としての条件はまず「マット形成」です。田植機で植えられなければ健苗とはいえません。根がらみが良く,適度な苗丈(12〜16cm) ,苗のN濃度は3.5〜4.5%程度でロールマットの完成が求められます。また,軽量培土等は田植機の苗送り台で滑りが悪い場合が散見されます。事前に吸水させる必要があることに留意してください。
なお,当然ながら,徒長にならないよう十分な育苗管理が重要です。苗は生育後半より生育前半の方が伸びやすい性質があります。出芽長は簡単に伸びるし,第一葉鞘高や第二葉鞘高もすぐに伸び「ヒョロ苗」になってしまいます。健苗の代名詞である「ズングリ苗」にするためには,何よりも生育初期の伸びすぎに注意が必要です。特に,出芽長は1cm以内,葉鞘高も極力伸ばさないことです。出芽が伸びないリスクより伸びすぎのリスクが極大に大きいことを理解してください。以前は,苗が伸びず困ったなどの経験もあるでしょうが,ハウス育苗の時代に苗が伸びなくて困ったなどの問題はほとんどありません。
極端なことを言えば,芽が5mm程度に揃ったら即座に被覆資材を除去し,プール育苗の方は「水苗代状態」に管理してください。水稲は水の稲と書きます。出芽後水苗代状態にして全く問題がありません。これまで,出芽〜緑化期にかけては灌水を少なくして地温上昇に心がけてくださいと言ってきました。地温を上げることで根の伸長を助けることはその通りです。しかし,ハウス育苗で地温が上がらな
い等の問題は起こり得ません。それよりも出芽揃い時以降の水分不足のリスクの方がはるかに大きいと考えます。苗箱まかせの育苗は土が少ない分水分不足が問題になるのです。プール育苗では,苗代初期にプール状態を維持できるのです。苗箱まかせとプール育苗の相性の良さはここにあるのです。
これまで根がらみの重要性についても述べてきました。根がらみを良くするためにまず必要なことは出芽初期の生育です。植物はすべて初期生育が重要なことはいうまでもありません。水稲育苗では出芽長を伸ばさず,揃った生育を目指すことになります。図1に苗作りの勘どころとして自活根(種子根)の重要性を示しました。水稲の苗は1葉期頃までは胚乳養分に依存しております。したがって,この1葉期位まではよっぽどの問題がないかぎり正常に生育します。
しかし,胚乳養分がなくなると自活根で養水分を吸い始めます。この自活根が伸びなければ水稲育苗は致命的になります。播種時に水分不足(育苗下まで水が届かず表面上だけに水がとどまる)をきたした苗は根が伸びずスポスポ引き抜ける状態になります。播種時のたっぷりの灌水が重要な理由がここにあります。苗箱まかせの育苗にとってこの自活根が伸び始めるときに水分が不足しないように管理することが何よりも重要なことです。著者が苗箱まかせの「箱底施肥」を推奨している理由も,直下根が伸び始める時期の種籾の周囲状態を考えてみてください。苗箱まかせの「層状施肥」では種子と苗箱まかせが同居しております。箱底施肥は,箱の底に苗箱まかせがあるため種子の周囲は土となります。水分の保持状態に違いが生じます。箱底施肥を奨励する理由がここにあります。
特に上から灌水する場合は箱底施肥が優位と考えます。だからといって層状施肥を否定するものではありません。十分灌水に注意を払ったり,プール育苗では層状施肥でも箱底施肥でも問題はありません。繰り返しますが,出芽初期以降,水分を不足させないために「水苗代状態」にすることが重要なのです。プール育苗を推奨する所以です。
また,図2には山形県内での苗箱まかせによる育苗状況を示しました。ハウス育苗での育苗の形態は,出芽器にかけるか,かけずに直置きするか,育苗の灌水方法が上からの灌水かプール灌水かの4通りとなります。ここでの苗箱まかせの施肥量はすべて箱底施肥でN400−100を現物で1kg/箱での結果です。すべて良好な育苗が達成されております。
ムレ苗は水稲育苗にとって最大の問題です。ムレ苗は当初生理病的な症状を呈しますが,ピシューム菌が関与すると急激に蔓延し苗立ち枯れ症状を引き起こします。現場状況を見ますと,ゴールデンウィークまではほとんど問題はおこりません。
ゴールデンウィークを過ぎると苗は2葉が完全に展開し3葉が出始めます。要は葉面積指数が最大に達する状態になります。その時期にたびたび高温と低温が繰り返され,温度変調が起こりやすくなります。特に過高温になり低温に遭遇するとムレ苗を引き起こしやすくなります。要はこの時期,ムレ苗は苗と病気のせめぎあい。苗が徒長し軟弱的に生育すれば病気に罹ります。根の生育が丈夫でズングリ苗に生育すれば苗が病気に勝ち正常に育ちます。
以前,床土は自家生産が一般的な時代はタチガレン粉剤の混入は容易に行われていました。ところが,購入培土が普及するにつれタチガレン粉剤の散布が行われなくなることが多くなってしまいました。この場合は,ゴールデンウィーク以降に現れるムレ苗の初期症状(円形状に現れる場合が多い)を見逃さないことです。その時点で即座にタチガレンエースM液剤500倍,500cc/箱を散布してください。ムレ苗に罹った苗の症状は治りませんが,周囲への蔓延を確実に防止します。タチガレンエースM液剤は500cc瓶で3000円強の値段です。この500cc1本で育苗箱500枚を賄うことができます。ムレ苗の初期症状を見逃さないでください。
写真4−1〜4−4はムレ苗が発生し,即座にタチガレンエースM液剤500倍,500cc/箱を散布した後の育苗状態を示しました。タチガレンエースM液剤でムレ苗に罹った症状は治りませんが,最終田植え時点の苗は完全にムレ苗蔓延防止につながっております。
この苗は4/21日に播種(有孔ポリにて被覆) ,4/29日,有孔ポリ被覆除去が大幅に遅れ,有孔ポリの中で緑化が進んでいた状態にあります。生育は徒長気味ですが良好でした。この状態で5/11日にムレ苗の初期症状を確認しました。この時点でタチガレンエースM液剤を散布すべきところ散布しませんでした。もともと有孔ポリの除覆が大幅に遅れたことによる軟弱な生育状況が問題ですが,ムレ苗初期症状(ムレ苗の典型的な円形症状)を確認した直後のタチガレンエースM液剤散布をしなかったことが問題なのです。
この苗も連休後の同じ5/11日にムレ苗の初期症状を確認,担当農家が即座にタチガレンエースM液剤500倍,500cc/箱を散布したため,ムレ苗の蔓延を完全に防止。5/18日の田植え時点では,ほんの一部で立ち枯れが確認できたものの田植えには全く問題がありませんでした。ムレ苗初発生確認時のタチガレンエースM液剤500倍,500cc/箱の散布が重要なのです。
プール育苗は従来1.5葉期以降,中後期の水管理に用いられてきました。しかし,苗箱まかせの育苗には,出芽初期から生育中期にかけて湛水状態に維持できることを最重視しております。写真1,2に示したように,出芽が0.5cm〜1cmに出揃ったら即座に湛水状態を維持します。プール敷設の状態によって湛水状態が異なりますが一向にかまいません。水がなくなったら1〜2日後に湛水すればよいのです。1葉期以降は,箱の上部が湛水するような状態を維持します。これでマット形成の優れた苗を完成させることができます。苗箱まかせにプール育苗は相性抜群なのです。
つぎに,ゴールデンウィーク以降に散見される「ムレ苗」 ,それまで全く問題が生じなかった育苗で「ムレ苗」に侵されれば一朝一夕にして無残な状態に陥ります。まずは「ムレ苗」の初期状態を把握することです。初期状態である円形症状を確認したら即座にタチガレンエースM液剤500倍,500cc/箱を散布することです。症状が出た苗は治癒しませんが確実に蔓延を防止できます。ここ何年か「ムレ苗」症状に悩んでいる場合は,ゴールデンウィーク後半に予防的にタチガレンエースM液剤500倍,500cc/箱の散布を行い,健全な苗を安心して作りたいものです。